何かをする時。
それにはどんな意味や価値があるのだろうと、推し量って、ものごとに関与したり、行為したりするのが一般的だと思います。
だって、それを意味があるから、それをするんですよね。
ある意味当たり前の事。
だけど、逆の生き方もあるんじゃないかなあって思うんです。
それは、意味を持たせない生き方。
意味を持たせるということは、これまでの自分に刷り込まれた外付けの価値感によって、それに価値付けしようとしている。
自分の持ってる情報なんてそんなに多くないでしょ。
それゆえに、かなり狭い領域でしかそれを楽しめなくなる。
またそれによって、他のことの素晴らしさを体験することから自分を遠ざけ、不自由にしている。
さらに、その狭い領域での縛られた判断によって選択したものが、自分の期待したものと違ったら、それの意味が減じられ、楽しめなくなる。
それって、意味付けなければ楽しめたものを自分で勝手に楽しめなくしているようなもの。
損ですよね。
またさらには、その意味付けをしない状態、つまり判断しない状態で、ありのままを体験するとき、そのものごとやひとのいのちの豊かさがわかるのではないでしょうか。
だから、意味を持たせない。
それは、外付けの縛られた価値観に夜意味付けの範囲だけではなくて、開かれた可能性に目を見開いて生きるオープンな姿勢。
そっちの方がいいのではないかと。
究極的には、人は「関わる」ために生まれてきたと思うんです。
それは人や出来事や自然など。そして最も関わりたいのは自分自身。なぜなら、そこに確かないのちがあることがわかるから。
誰かと話をしていて折角関わっていて、その瞬間人生の目的を達成している豊かな瞬間の連続なのに、損得感情が働いて、それに意味付けをしようとすると楽しめなくなる。
「この会話は意味があるんだろうか」「この人とこれから関わることはないなら、会話する必要なんてない」とか。
最後に。
意味を持たせようとするのは、「心の作用」です。
現在の一過性の価値観のおしつけ。頭の中でのヴァーチャルリアリティの世界の中での堂々巡り。
1回、そこを突き破って、ドーンといのちの世界に降りてみてください。
意味をつけない。価値をいちいち考えない。
そうしてものごとに一期一会して、豊かないのちを体験し続けます。
そこに答えのひとつがあります。











まさ先生
とっても響きました。
今年はひとつのことと向かい合っていく1年になります。
自分に価値をつけて見失いそうになりそうなとき、方向性や、自分の居場所、
存在すら分からなくなります。
だけど、まさ先生がおしゃっていること、私のいのちはちゃんと知っています。
一期一会を大切に、今を大切に生きたら、本当にそこは素晴らしい、
掛け替えのない世界ですよね。
最近、またよく泣きます。でも全てが本当にありがたいんです。
またまさ先生に会いたいなっ。
いつもソバに居てくださりありがとうございます。