今日から禅の接心会に行ってきます。
今回は結構、マインドが抵抗を起こしていました。
禅はある意味、マインドが作り上げた「妄想」がないことを知り、そのままの全的いのちに出会うことです。
だから、そりゃあ、マインドにしてみればこれまで作り上げてきたものを崩されるなんて、「いやだ、いやだ」と抵抗します。
でも、その妄想があるから、ひとはありのままにいることの豊かさを忘れてしまっている。
だから、豊かさを「思い出す」ために、「莫妄想」(妄想する事なかれ)をやるんですね。
そんな風に抵抗してたわけですが、だけど今朝、自然と覚悟が決まった。
接心会では、ある意味、がんじがらめです。
きっちりと時間は管理され、食事も作法があり音をたててはいけない、お師家様との一対一の独参の時あるいは特定の公案をいただいた時以外、沈黙を保つ、などなど。
だけど、限りなく自由のないように見える禅の接心会に行く覚悟が決まったら、限りない精神的自由を感じ始めました。
禅ではとことん自分に向き合います。
だからこそ、そうでなかったらメールチェックしたり、ツイートしたり、テレビ見たり、外に向けられている意識のエネルギーがそのまま自分に向いていく。
そして、この体や心など、リアルな現実をはっきりと観るのです。
その時に、以下に自分が妄想の中にいたかがわかる。いかに「心の作用」の働きや暴走に翻弄されていたことか。
出会ってみれば、「それ」は素晴らしい(「それ」は言葉で言い表せないけど、あえて「素晴らしい」としておきますね)いのちや働きそのものです。
そうして、それに触れる時、意識的空間の中で本当に自由を得ます。
自由とは外部的条件からの自由などというようなものではなくて、外部条件がどのようであってもそこにある現実にはっきりと出会うことで得られる絶対的なものです。その外部条件には、自分の中にある「概念」も含まれる。なぜなら、「概念」も外からきたものだから。
自分の好き嫌いというような「概念」に縛られているのは不自由。
だから、それさえも手放して、そこに本当にあるものに出会う。
そうすると、絶対的な自由に出会います。
さあ、今回も始まる。
とことんやってきます。









